3日は八景の瀬戸神社でお参りをした後、近くの野島公園まで歩きました。ここは以前友人たちとバーベキューをした所でキャンプもできるところですが、冬枯れのキャンプ場は薄茶の松葉がカーペットを敷き詰めたようで、それはそれなりに風情を感じさせてくれました。人気はほとんどなくて一組の家族が釣りをしながらバーベキューを楽しんでいました。バケツの中を覗き込むとアサリが2つ入っているだけで、海辺を見ても透き通った水の中に魚影らしきものも無く、趣旨は子供へのファミリーサービスのようでした。そう言えば今はバラバラの我が家でも似たようなことをやっていたこともあったなーと遠くを見るように思ってしまいました。そんな感慨にふけっている時に突然、母親が3~4歳くらいの男の子に、「いじっちゃダメでしょ!」と叱りつけるのを耳にして振り返ると、男の子がリールで釣り糸を巻き取っていました。その子は真剣に、「だって、カッパが餌とっちゃうから...」と実に予想外の言い訳を口にしました。するとその若いお母さんは真面目な顔で、「カッパは海にいないの!」と応えていました。「全くごもっとも!」と心の中でツッコミを入れながら、余りに珍妙な親子のやり取りに思わず噴出してしまう私でした。
野島公園の展望台からは8割がた雲の掛かった富士山や、丹沢山塊、房総半島、東京湾横断道路の海ほたる、ランドマークタワーのパノラマが楽しめました。それから、春は潮干狩りができる人工海浜の波打ち際をシーパラダイスに向かいました。浜辺には家族連れやカップルが、我がご幼少の頃の凧とは大分趣の違う洋風カイトを青空高く揚げていたり、ウインドサーフィンを眺めたり、如何にも正月に似つかわしい一コマでした。シーパラはそれなりの賑わいでしたが、乗り物に長い列を作るほどの人出ではなく、穏やかな日和にも拘わらず不景気の風が人々の懐に吹いているようにも思えました。華やぎを演出する為の遊園地が閑散としている様は、映画のシーンでうら悲しさを際立たせる時に使われる格好のセッティングで、特に人気の無い遊園地の乗り物に子供を乗せている家族連れを見ると、小生などはそれだけで何か胸に迫るものを感じてしまうものです。否、もしかしたら実際はシーパラにいた何人かの人は、ナップザックを背負った地味な爺でしかない我が姿の場違いさに悲哀を感じていたかもしれません。だとしたら、とんだト・ホ・ホでした。帰りは金沢文庫のある称妙寺に寄ってこの日の締めくくりとしました。
昨日はスタートは遅くなりましたが、此のところ続けてきた野菜中心ダイエットをサボって食べ過ぎてしまった己を鞭打つために、北鎌倉で降りて浄智寺横から始まるハイキングコースを駆け足感覚で歩いてきました。鎌倉も我々が高校生ぐらいの時は入場料を取るところなど建長寺と鎌倉大仏しかありませんでしたが、今や何処も彼処も大した建造物や見世物も無いのに金を取るようになり、小生には許し難い堕落のように思えてなりません。駆け込み寺の東慶寺など木戸銭をとることを考えるより、DVに苦しむ女性や子供を救うことに頭を悩ませるべきでしょう。本来なら派遣切りやネットカフェ難民に、暮・正月炊き出しするくらいの仏心があってしかるべきものを近頃のクソ坊主どもはまるで「人生は金だ!」という悟りを開いてしまったのかとの感すらあります。とか何とか偉そうなことを考えるものの、葛が岡からは大仏に下りる道と銭洗い弁天に抜ける道がありますが、かく謂う私目は欲に引っ張られるように迷うことなく銭洗いへの道をとっていました。
銭洗いでは1000倍もご利益がありますようにと5000円札を洗い、おみくじを引くと結果「末吉」、「波のおと 嵐のおともしずまりて 日かげのどけき 大海原」とあって、願い事は「少し手間どれど叶ふ」とありました。末吉はいまいちでしたが、何となく納得の行く内容に、これを確かにせんと本殿にお参りしようと思うも、そこには欲深き老若男女の長い列。その時急に、そう言へば若い頃人一倍信心深い母親を連れてお参りして車に戻ると、駐車違反のキップが張ってあり、思わず「何だ、銭失い弁天じゃないか!」と一人ごちたことや、過去何度もお金を洗ってきての貧しい今日に思いが至り、お参りどころか興ざめの心地で大仏、長谷へと急いだのでした。「鎌倉や 御仏なれど釈迦無二は 美男におわす 夏木立かな」の大仏、「長谷寺へ 参りて沖を眺むれば 由比の波間に 立つは白波」の長谷は訪れるたびにつくづく名句だと思いつつ感慨に浸る鎌倉の名所ですが、閉門まじかとなり素通りして由比ガ浜の海に出ました。
陽は西へ傾き、夕暮れの中で何故か途中で買った焼き鳥を食べながら、遠く小坪へと続く岡の上にあるヒュッテ風の建物と展望台を夕日が赤く染め上げるのを見て、ああ出てきてよかった思いました。そこは昔父が勤めていた日本光学のテント村があって、貧しくて又帰る田舎も無かった頃、夏になるとそこに泊まることが唯一の楽しみだった子供の頃の記憶が強烈に甦ってくる特別な場所です。あの頃はバスが海に近づくと海草の香りでしょうか強い礒の香りがして、海辺の石垣やテント村までの坂道に大きなカニが沢山いたものでした。今は何故か潮の香りもほとんどなく、カニもいなくなって、今様湘南を代表する逗子マリーナの白いマンション群が当たり前の景観になってしまいました。ただ昔の懐かしい日々がこうやって甦ってくると、今更ながら何が自分にとって大切なのか自問することができて、日々の瑣末な事ごとに何気なく過ごしてしまう日常にアクセントを入れることができるような気がします。兎にも角にも納得の一日でした。
次回は荒崎海岸でも行ってみるつもりです。







